母の全身性強皮症について書いています。
2015年1月に病名が分かり、治療が始まりました。
母の全身性強皮症は小腸機能障害を起こすタイプです。
何を口にしても腸閉塞を起こしてしまうので第一段階として首の血管から中心静脈カテーテルを入れました。
腸閉塞の危険な状態は脱しましたが、依然として母の消化器官は正常な動きをしてくれません。
右側の内頸静脈、左側の内頸静脈を経て、ついにCVポート埋込になります。
過去のことを振り返っているので、一歩引いた視点で、かつ、その後談も含めて記すつもりです。
CVポートとは
Central Venous Access Port Device
皮下埋め込み型中心静脈アクセスポートのことです。
中心静脈カテーテルの一種で、ポート全体が完全に皮膚の下に埋め込まれます。
母は右鎖骨の下に埋め込むことになりました。
他にも、内頸、上腕、大腿にも入れられますし、左右どちらでも埋め込めるそうですが、栄養さえ入れば母は日常生活を送れるようになるので、身動きをとりやすい鎖骨静脈になりました。
CVポートは、直径2センチ程度の円盤状のもの(ポート)と、薬を血管内に注入するカテーテルの2つでできています。
CVポートが埋め込まれていれば、血管を探す必要がないので家族でも点滴の針交換をできるようになります。ポートの中心には1円玉程度の大きさのシリコンゴムが埋め込まれていて、その部分に針を刺して、カテーテルを通じて中心静脈内に薬液を注入するのです。
病院では看護師さんが時計の秒針を見ながら点滴のスピードを調整しますが、電池式のスピード調整する機械を経由するのでスピード調整が素人にもできてしまうのです。
とは言っても、今まで見たことも触ったこともない道具ばかりです。
そして私たちはずぶの素人。
退院の前に私と姉が10回ずつ母の体を使って講習を受けることになります。
最初は、
10回も講習の必要があるなんて
そんなに覚えることあるの!?
とビビっていましたが、手順を教えてもらうのは最初だけで、その後は見守りを受けながら繰り返し練習する、という流れでした。
遺影で大騒ぎ
退院にむけてスケジューリングされていく頃、父と母は「この退院は先生のお情けだ」と思い込んでしまいました。
「死ぬ前、最後に家に帰らせてくれるのだろう」と思っていたのです。
身近なところでは、父方の祖母が最期の数か月中心静脈栄養で寝たきりになった後に亡くなっています。
母方の祖母の時に私もその光景を見たことがありますが、寝たきりの方たちの病室はとても静かで、全員に黄色い点滴パックがぶら下がっていました。
母も退院後は寝たきりになって、血管から栄養を入れられて、ただただ死期が近づくのを待つしかないんだ、と思い込んでいたのです。
遺影を撮らないと。
写真館には行かれないから
出張で来てくれるところを探して…
なんですと!?
先生は中心静脈カテーテルの説明をするときにこうおっしゃっていました。
大丈夫!
CVポート付けて点滴しながら働いている人もいるし、
これを付けたからって病気が悪くなるわけじゃないから。
この言葉すら、気休めを言われていると思い込んでいるのです。
「遺影を撮るために写真屋に来てもらおう」とか、本気で二人で話し合ってます。
姉とふたりでいくら否定しても聞いてくれません。
何を言っても聞こえてないわ
目の前で先生に聞いちゃえ!
先生、父も母も、あと何か月生きられるのか
心配で心配でたまらないんです。
退院したら遺影を撮ると言ってます。
そんなこと心配してるの?!
Mさんの強皮症は強皮症自体で寿命がどうこう
するタイプのものではないです。(ハッキリ)
この前みたいに腸閉塞起こしたら危ないよ。
腸閉塞は命に関わるからね。
だからそうならないために中心静脈から栄養入れるの。
まだ生きられるから大丈夫!
結構な荒療治でしたが、先生とのこのやりとりを父、母の目の前でしたことで「遺影を撮る」とは言わなくなりましたv( ̄Д ̄)v イエイ
後記
母の病気は全身性強皮症ですが、2回の入院を通して母の強皮症はどのタイプなのか、どのように対処したらいいのか、が少しずつ明らかになってきました。
ですがやはり書く字の通り、病気は気持ちにも及びます。
鬱ど真ん中ゾーンに入ると、どんな言葉も聞こえなくなるんですね。
主治医の先生はいつもにこやかで、明るい先生です。
声を聞くだけで元気になれるような先生です。有難いことです。
そうであっても、気持ちがついていかない時はすべてが上の空になってしまう。
本当に怖いのはそちらの方かもしれません。
今日の記事あたりが母の状態の最悪なところでした。
これからはいい方向に向かっていきますよ。
まだまだ続く母の全身性強皮症の記録。続きをお楽しみに!