【森会長辞任】なんだかモヤモヤする

日記

思うことは書かないブログですが、モヤモヤが収まらない。

2021年2月12日、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長が辞任されました。

「女性蔑視と取れる発言の責任を取って」とのこと。
大会組織委員会の森会長の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」といった発言を巡っては、本人が発言を撤回して謝罪したあとも国内外から批判が続き、森会長は発言の責任を取って会長を辞任する意向を固めた、と報道されています。

テレビやネットでは、森さんの女性観が問いただされています。批判も非常に多い状況です。
確かに、「立場ある人が」、「公の場」で、「言うべきではないこと」、を発言しました。
言ってしまった言葉は決して取り消すことはできません。謝罪してしかるべきです。
ですが、寄ってたかって何日にもわたって報道するようなことですか?日本人のレベルの低さが疑われます。恥ずかしい。


テレビは社会で虐げられてきて悔しい思いをしている女性達をあおっています。
そして、その行為は正義の面をかぶりながら、実は日本の女性たちを愚弄している行動なのです。
世の中のすべての人に伝えたいことは、「メディアは真実だけを伝えているわけではない」ことを知っていなくてはならない、ということです。インタビューなんて、台本がうまく進行するためのスパイスにすぎません。すべての意見を放映することなんて不可能だし、持っていきたい方向に誘導するために一般人の言葉の一部と顔を借りているのです。

日本は社会が急激に変化しています。男女雇用機会均等法が施行されたのは1986年です。たった35年しか経っていません。まだ人が一巡していない。
男女雇用機会均等法とは、職場における性別による差別を禁止し、男女とも平等に扱うことを定めた法律です。
私が社会人になる時この法律は施行されていましたが、まだまだ、まだまだ、これ以前の考え方の方がスタンダードでした。この時代を社会を担う立場で過ごしてきた人たちにとって、女性を男性と平等に扱うことなんてあり得ないことでした。この考え方は今でも根深く社会に残り続けています。このことに対して怒りと不満を覚えている女性が多いことは知っています。
この急激な社会の変化であり、転換したスタンダードが本当のスタンダードになるには、前世代の方たちが天寿をまっとうして居なくなるのを待つしかないと考えます。一巡するまであと少しです。

一方で、今のように世の中が平和ではなかった戦争前後生まれの世代にとって、女性と男性というものはまったく役割が異なっていました。男性は強くなることを求められ、家族を守るために戦い、働きました。女性は子どもを産み、育て、家を守ることに専念しました。互いに互いを尊重して、助け合い、協力して家庭を築き上げました。
体のつくりが違うのです。体形、筋力も違えば、生殖に関しての役割も違うのです。

高齢の森さんの生きてきた社会では、女性は家の中で働くものであり、そうした社会経験、訓練の機会がない女性というのは論理的な考え方、話し方に欠けている。➡感性でものを言う。何を言いたいのかはっきりしない。➡話が長い。(そういう人が多い)
それが日本社会のスタンダードだったのです。


私の祖父母の世代では、妻は夫の後ろを歩き、夫より先に寝てはならず、夫より後に起きてはいけかったそうです。
昔を思い出すと、私の祖母は、祖父が夕方一杯飲んでいて夕飯の時間に間に合わないとき、祖父の帰宅を待っていました。夕飯を食べずに。
寄り道をしている祖父が帰るまで夕飯を食べずに我慢するなんて変なの、と幼い私は思ったものです。でも、それは祖父母の代にとっては普通のことでした。
こうした時代の名残なのか、「おい、お茶」と妻にいう男性はいまだに実際いますし、いつも夫の後ろを歩く妻もまだ見かけることがあります。

森喜朗という一人の人間に対して、「世の中の男性の罪」を断罪するかのように報道が騒ぎ立てるのはおかしなことです。彼を批判したら正義なのでしょうか。非常におかしい。

何がおかしいって、「男性」「女性」という考え方自体が間違っています。

区分した段階で、そこに「差」が生まれるのは必須になるのです。
私たちは性別にかかわらず、一人ひとりが「人」なのであって、「女性」だの、「男性」だの、区別して扱われること自体が現代の社会に反しているのです。

それを分かっていないで正義面する人がいるものだから、「後任には女性を」という浅はかな発言が出てくるのです。
署名活動したお若い「女性」が、ジャンヌダルクのようにかつぎ上げられるのです。
メディアに振り回されて人生が変わってしまったらどう責任をとるおつもりなのでしょう。

適した人材ならば性別は関係ありません。
「男性と女性の比率」なんて、言ってる時点でおかしいのです。
相応しい人が、その立場を担う。その結果が男女1対1くらいになったら、日本の社会は性別の差を超えた本当に新しい社会に転換した、ということだと思います。

辞めた人間に対していまだに批判を続ける人。
これを機会に世直しを気取る人。
それに踊らされる人。人。人。
本当におかしいのは、森喜朗という一人の人間ではなく、このような世の中です。

反応してしまった時点で私も負け、ですけどね。まぁそんなもんです。年齢の差、性別の差、貧富の差、教育の差、色々な違いを批判するのではなく、互いに認めあって、尊重しあって、共に歩む社会になることが人類の最終スタンダードになったらイイナ、と思います。今はまだ遠いですね。

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